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こんにちは。

脇町キリスト教会の岡田真治と申します。

この場をかりて献身のお証しをさせて頂きます。

「すべて益としてくださる主」 

脇町の教会では祈祷会等で私の話を少しさせていただいたことがあるのですが、あまり私自身の事を話した事がないので、今回は自己紹介を兼ねてお証しをさせていただきたいと思います。

 

 

私は、1979年この脇町で生まれ育ちました。幼少の頃から虚弱体質でよく大島病院に通院しておりました。家庭の環境もあまり良くなくて、ご飯もあまり食べていなかったのです。そんな時、クリスチャンの医師である大島公明先生が脇町キリスト教会を熱心に紹介してくださいました。

 早速当時6歳だった私を母が教会に連れて行ってくれました。

周りのとてもたくさんの大人たちが一生懸命にお話を聞いたり、大きな声で賛美している様子がとても印象的でした。大きな大人たちのその姿は「本物」であると子供心に思いました。私は教会学校でイエス様の大切な教えを学びました。

 

やがて17歳で洗礼を受けさせて頂き、1997年高校を卒業して就職の為、県外に出ました。名古屋、広島、京都、東京と様々な所に住んでおりました。しかし残念なことにその間12年間教会から離れてしまいました。派遣等の仕事で、いろんな所に行きましたが、22歳の時、私は京都で結婚をしました。現在私には21歳の娘、19歳の息子、大学生の子供が二人おります。

 

某消費者金融会社に就職し、サービス事業部という部署にて、小さい子供二人のため、家庭の為に一生懸命身を粉にして働き、飲食店店長となり課長代理(スーパーバイザー)という役職も頂きました。ここまでの出世はよかったのですが、私の働いていた飲食店は年中無休で、私ももれなく年中無休になってしまいました。私は仕事ばかりで家のことがまったくできない状態になり、3つ下の若い妻は子育てがつらく、当時の生活が耐えられなくなり子供を残して出ていきました。今でも元妻につらい思いをさせたと心が痛みます。離婚をして親権は私が持つことになり、父子家庭となったのです。しかし元妻が新しい人を連れてきて親権がほしいと言われ、経済的に父子家庭よりも両親がいた方が良いという家庭裁判所の裁判により私は、親権を失いました。

2011年に徳島に戻り、祖母と父が亡くなり、母が一人になったので、私は母と一緒に住むことにしました。

子供の親権も失い、現実の何もかもが嫌になりお酒に逃げるようになりました。毎日、朝からずっとお酒を飲んでいました。生きている事が嫌で、なにもかも、もうどうでもよくなったのです。私は寝込みました、そして心が荒みました。その時にうつ病、パニック障害を患いました。

 

 母はそんな私を見て悲しみ、教会へ行き「息子の為に祈って下さい」と牧師や、教会員に一生懸命声をかけ、熱心に教会に足を運んでくれました。母はその時「息子のお酒が辞められるのであれば息子も私もすべてを神様に捧げます、ですからしんちゃんを助けてください」と祈っていたそうです。

その祈りは聞かれました。

 

 無性に教会に行きたくなったのです。教会に行くと、こんななんの取り柄のない、身体の弱い、無職のただの酒飲みだった私に皆さんが優しく声をかけてくださるのです。そういえば10数年間離れてしまった教会は厳しい所でもあるけれど、何故か平安が与えられる場所だという事を思い出しました。

「私はここにいてもいいんだ!」と当時ふらふらしていて行先もわからなく不安を覚えていた私に素晴らしい居場所を神様は与えてくださいました。感謝の気持ちがあふれました。

子供のころ難しいと思っていた聖書「今でも難しいです」がより深く理解出来るようになったのです。神様と教会の大きく深い愛を再認識する事ができました。それと同時に、今までの自らの罪を省み、悔い改めました。お酒に逃げるのではなく現実に生き、神様をしっかり見ていたい、そして毎週礼拝に通っていると、もっともっと神様のことを知りたい、神様の為に働きたいと強く願うようになりました。

 

そのことを日々祈っていると2018年の脇町での連合聖会の時に、神様は「そのとおりになる」とはっきり私におっしゃってくださいました。実際、教会の奉仕も少しづつ与えて下さいました。

 

また「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」(コリント人への第二の手紙3章18節)

聖霊様の働きによって栄光から栄光へ導かれ、主の似姿へと変えられたい、イエス様を常に見上げていたい、という純粋な気持ちがありました。

 

私は神様の導きを信じ、献身を決意しました。しかし、3年前に神学の学びやスケジュールなどが決まりかけていた矢先に大きな病が見つかりました。肝硬変という病です。予後不良の病で治ることはありません。非常に悲しい思いをしました。絶望しました。しかし以前とは違います、私には神様がいて下さるのです。そして神様にとって不可能なことはないのです「真理の御言葉を宣べ伝える器として用いてください」とわたしは祈りました。

そして「主の御心であれば、神様と人々の為に生きる者とさせられますように」とあきらめず祈っておりました。また神様は「そのとおりになる」仰ってくださいました。

 

 すると今回学びの時が与えられました。三公記念館にて聖書の、神学の学びをさせて頂ている事を感謝致します。

私は頭が悪く、もの覚えも悪いのですが、一生懸命しっかりと学ばせて頂き、真理の御言葉を宣べ伝える者として遣わされますように、まだ神様を知らない方にも神様のお話が出来ますようにと祈っております。

 現在母と猫一匹と脇町住んでおります。神学校、活水聖書学院入学にあたり、股関節とひざを手術した足の弱い母の事や、私自身パニック障害をもっており、神奈川県まで行くのは困難でした。しかし、このコロナ禍により教会でのオンラインでの礼拝が盛んになり、今回の学びも徳島にいながら行うことが可能となりました。そしてこの3年間養生をして、肝硬変の方も、普通の人よりは長く生きることは難しいですが、人並の生活ができるまで回復することが出来ました。

 

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ人への手紙8章28節

神様は、すべてのことを最善にするために共に働いて下さいます。

神様は、最悪なこと、試練、不幸なことすべて最善にされるのです。素晴らしいことです。過去に神様に頼らずにお酒に逃げたこと、教会から離れた事、悔い改めました、しかし過去に身体を粗末にした報いは受けなければなりません。しかし、この瀕死の病によって無駄に過ごす時間はないということ、そして神様によって生かされているという大切なことを再認識することが出来ました。

そして脇町にいながら学びが行えるようにして下さり、気が付けば全ての問題が解決されていたのです。神様は最善をご用意してくださっていたのです。本当に感謝です。

 

余生を養生しながら静かに生活することも選択肢にありました。少々大げさかもしれませんが、今回の献身の件、命がけでの決断をさせていただきました。何よりも神様がそうしなさいと仰って導いて下さったので、決して恐れることなく、そして主を信頼し求めて、主の栄光のみがあらわされますように、続けて祈り神様の忠実な僕として歩んで行きます。 

                                     2022年8月   脇町キリスト教会   岡田 真治

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